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OB INTERVIEW

OBインタビュー

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1980年(昭和55年)卒業

俳優

冨家 規政

1962年生まれ。1974年攻玉社中学校に入学。1980年玉川大学演劇科入学。1980年玉川大学演劇科入学。大学二年次に中退し芸能事務所に所属、俳優キャリアをスタート。1983年NHK連続テレビ小説「おしん」でデビュー。以来、テレビドラマを中心に映画、舞台、CMなどで活躍。2016年山梨県のやまなし大使に任命される。

脈々と受け継がれる攻玉社のDNAが今の自分を形作っている。

攻玉社ではどのような学生生活を過ごしましたか

今の攻玉社は都内屈指の進学校ですが、私が在学していた40年ほど前は結構やんちゃな学生がまだいましたね。実は私もその一人で、先生方によく叱られたものです。当時はアメリカンフットボールが人気で、その影響を受けて生徒同士で同好会をつくり、最終的には後輩も40人ほど集まり晴れて部へと昇格することができました。中学・高校はアメフトに熱中して、勉強とスポーツに明け暮れていました。
高2で父が北海道へ転勤することになった時、クラブの仲間や同級生と別れるのがいやで私だけ留まり一人暮らしをすることになりました。そうしたらアメフト部の顧問だった先生が身元引受人になってくださったのです。私がよく叱られていたとても怖い先生ですが、生徒思いの熱血漢で、大変お世話になりました。卒業してからもアメフト部の同窓会でお会いしたり、今だに連絡を取り合っているくらい大好きな先生です。
攻玉社は生徒数がそれほど多くないので先生の目が行き届いていて、教育指導は厳しいものの、何かあればいつも親身になって相談にのってくれたのを覚えています。

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俳優への道を選ばれた理由を教えてください

アメフトが盛んな大学に推薦入学するはずでしたが、練習中に大怪我をしてしまいアメフトの道を断念せざるを得なくなりました。幸い成績は良かったので、担任の先生には早慶の受験を薦められました。けれどそのときには、もうひとつ興味があった演劇をやってみたいと決めていましたので、その決断を先生に打ち明けたところ「お前らしいな。好きな道に進めばいい」と笑顔で背中を押してくださったのです。
演劇に興味を持ったのは中学の時です。ある先生が攻玉社出身の俳優さんを学校にお呼びして講演会を開いてくださり、その方のお話がとても面白くて強く印象に残っていました。それで玉川大学の演劇科を選択しました。入学後は芝居がますます面白くなり、もっと本格的に学びたいと思い、大学を中退して俳優養成所に入ったのです。
大学進学は人生の大きな岐路です。でも、大学がゴールではありません。大学はその先の将来に向けた勉強をするところですから、自分の進路は自分の将来をしっかりと見据えて決めるべきだと私は思います。

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最後に、在校生や受験生へメッセージを

思春期はその人の精神構造をつくるにあたりとても貴重な時間です。男子校で中高一貫というのは少々特殊な環境ではありますが、あの6年間が確実に今の自分の一部を形成していると思うので、攻玉社で育った6年間はすごくいい経験だったなと感じています。

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私が卒業してから随分と経っているので、時代の流れとともに当時とはいろいろと変わりましたが、学校自体がもつカラーや空気感というのは変わらないと思います。学生のときは気づかなくても、大人になってからじわじわと実感できるようになるので、脈々と受け継がれる攻玉社のDNAを、在学中にできる限り多く吸収してほしいと思います。

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社会で活躍する先輩が語る

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