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OB INTERVIEW

OBインタビュー

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1994年(平成6年)卒業

緒方法律事務所 弁護士

飯野 毅一

1976年東京生まれ。1988年攻玉社中学校に入学。1995年東京大学文科Ⅱ類入学。2000年同大学経済学部経済学科卒業。同年財務省入省。主計局調査課等を経て、2005年退職。2006年慶応義塾大学法科大学院入学。2009年卒業。2011年に司法試験に合格し司法研修所に入所。2012年卒業。同年、緒方法律事務所に入所し、現在に至る。

生徒の多様性を尊重する環境で、
のびのびと過ごすことができた。

攻玉社での6年間は
どんな学校生活でしたか

 私を含めて良くも悪くものんびりしている人が多かった気がします。男子校の特性かもしれません。私が在学していたころはちょうど進学校に舵を切ろうとしていた時代であったからか、勉強に関して厳しい先生が多かったです。1年生のときにたまたま選抜学級に入ったものですから、特に厳しかったかもしれません。印象に残っている行事といえば耐久歩行大会です。当時は、無意味な苦行をさせられていると思っていましたが、厳しい課題を黙々と頑張って達成するというのは、自信をつける良い経験だったと思います。

 授業についていえば、理系の先生が特にレベルの高い授業をしてくださったと記憶しています。理科系の授業では特に高度な内容を話してくださったので興味を持てました。出来は悪かったのですが。高2から文系と理系に分かれましたが、進路が決められず、理系か文系か相当悩みました。攻玉社の良いところは、真剣に相談すれば先生はいつも親身に対応してくれたことです。進路担当の先生に何度も相談して、先生のアドバイスも踏まえて、文系を結果的に選択しました。

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大学受験では志望した
すべての大学に落ちたそうですね

 中1、2は“がり勉”で勉強したのですが、中だるみに陥って高1のときにクラスでビリの成績を取りました。今でも憶えているくらいですから、かなりの衝撃だったのでしょう。そのまま成績は低空飛行で、高3のときの三者面談で担任の先生に東大を受けたいといったら、絶対に無理だと断言されました。予言どおり落ちました。

 浪人となって予備校に通いました。予備校は大学受験に特化した勉強をするきわめて実践的な場所ですが、攻玉社の授業は受験に通ることのみを目的としたものではありません。話題が豊富な先生もいらして、受験には直接役立たたないけれども、そこで聞いたことが気になって自分でも本で調べてみたり・・・そういうことが堆積していたのだと思います。そんな下地の上に予備校での勉強が足されて、伸びたのかなと思っています。東大の文科Ⅱ類になんとか合格しました。

 攻玉社ではクラスの端っこにいて、きわめて地味で目立った能力もない人間だった私が東大に入れたことで、自分の中では中高生活の総決算ができたという大きな喜びがありましたね。

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大学卒業後も
なかなか多彩な経歴をお持ちですね

 卒業後は財務省に入りました。配属された大臣官房秘書課では採用等に関わりました。その後、フランスへ留学しました。帰国後は中長期的な財政再建プログラムを策定する部署である主計局調査課というところに配属となりました。財務省の仕事は興味深いものではありましたが、新しいことに挑戦したくなって、29歳で退職を決意しました。

 退職後、慶応のロースクールで法律を学びました。東大時代の自堕落な生活を反省し、真面目に勉強したのですが、なかなか法律が頭に染みこまず、苦労しました。3回目の司法試験でなんとか合格。当時は3回しか試験をうけることができなかったので、首の皮一枚でつながったというか、運に恵まれました。

 緒方法律事務所では、とても楽しく仕事ができており、ありがたく思っています。

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最後に受験生や保護者の方へメッセージを

攻玉社には「質実剛健」の校訓のとおり、気どったり自分をよく見せようとして飾ることを嫌う気風がありました。素朴であっても、それを良しとする気風といいましょうか。先生方も気どらない人が多かったと思います。また、生徒の多様性を認めてくれる学校なので、自分の個性を損なわずに伸ばしていけます。ひとりで悶々と苦しんでいた思春期でしたが、そういう私のような人間が棲息していても排除されない大らかさがありました。そこが男子校としての攻玉社の良さだと思います。

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社会で活躍する先輩が語る

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